2010年5月30日日曜日

日本の一党優位体制

問い:日本における一党優位体制の成立,持続,危機について,論じなさい。

一党優位体制とは,サルトーリによる政党システムの分類の一種で,複数政党による競争があるものの,ある政党が他党を圧倒し継続的に政権を握っていることである。日本では,1955年に自民党が誕生して以来,政権を握りつつけ,一党優位であったと指摘出来る。以下では,その成立,持続,危機について述べる。

1955年,社会党再統一受けて,自由党と日本民主党が保守合同を行い,統一保守政党である自民党が誕生した。これ以後の政治体制は55年体制とも表されるが,1ヵ2分の1体制とも言われた様に,自民党と最大野党社会党の議席数には大きな隔たりがあった。社会党は,自民党に及ぶこともなく,60年代以後は,公明党や民社党が登場により野党勢力が多党化し,減退した。自民党は,衆議院で過半数以上の議席を握り続け,他の政党に比べて優位であった。
中選挙区制の下で,自民党候補者同士が争うことにより,派閥間競争は活発化した。党内競争は,派閥間対立を生んだが,新自由クラブ結成以外の大規模な離党行動はなく,自民党の活性化に役立ったと指摘出来る。
選挙においては,自民党候補者が各個人で後援会などの集票ツールを使った。個人による集票によって,票の掘り起こしが盛んになされ,自民党の底辺を支えた。
集票戦略上,各利益団体との結びつきを各候補者が強めることで政策の守備範囲も広かった。順調な経済に支えられて,各層への自民党による利益分配は可能だった。
階層集中的な支持によるのではなく,より広範囲な層からの支持を獲得した自民党は唯一の包括政党として,長期的な優位状況が可能だった。


時代を経るに連れて,状況は変化した。
冷戦崩壊の結果,保守が一丸となる必要性が薄れていた。相次ぐ政治汚職の結果,有権者の自民党への反感が募っていた。高度経済成長の終わりによって右肩上がりの経済成長の限界が見えていたが,バブル経済の崩壊によって,増え続けるパイを分配するのみでは立ち行かなくなった。利益配分のトレードオフ関係がより明確になったのである。
一党優位は危機を迎えたのである。

93総選挙前に,政治改革を旗印にした小沢一郎や武村正義らが離党した。自民党は過半数を握れず,政権を握れなかった。
政党の議席数でみると依然として自民党が第一党であった。政権復帰後も第一党であり続けたが,他党との連立を強いられた。このように93年の自民党政権崩壊以後は,自民党の優位は揺らぎ,一党優位の状況は変化した。
現在は,09年の政権交代に見られるように,小選挙区導入の効果もあって,一党優位から2大政党制に近づきつつあると考えられる。