2010年3月27日土曜日

「アメリカ化」する日本政治学

twitterで話題だった(?)「思想地図vol.5」の菅原琢氏の「アメリカ化」する日本政治学を読む。


計量分析という研究手法が浸透し、仮説検証型スタイルの論文が増えたという点で、日本の政治学はアメリカ化している。しかし、ポスト競争が激しい若手研究者の間では、「上の人」に目をつけられては不都合があるため、ある論文に間違いを見つけても反証することができない。日本の政治学界は、若手・非正規研究者と正規研究者との格差社会なのである。


みたいなことが書かれていた。そういえば、筆者が師匠である蒲島郁夫(の研究)を反証していた論文を読んだ時に、こんなこと書いちゃって干されたりしないのかと心配になったことがあるが、蒲島知事はある意味封建社会の日本の政治学界で学ばずにアメリカで学んだ研究者だから、反証はむしろWelcomeなのだろう。

ただ、僕が直接知っている数少ないレヴァイアサン系の先生方が、自分や自分の弟子の研究が反証されたことで、反証した人を嫌うほど度量の小さい人たちだとはとても思えない*1。なので、感覚的には筆者の主張がわからない。むしろ、非政治科学な先生の方が自説へのこだわりが強い気がしていたし。

政治学界の内情が公けに語られることって全然無い気がするので、こういう貴重なご提言がなされるのは良い事だと、ただの学部生である私は思いました。

*1もちろん実際に反証を試みたわけではない。まあ、ただの学部生に分かってしまうほどの明白さを持って「上の人」然とするわけないのだが・。

2010年3月24日水曜日

前期授業

ようやく「成績」「シラバス」が発表され、10前期に取る授業がほぼ確定。

政治思想系の科目が二つ(集中講義含む)と英語文献を読みのとゼミ系のやつである。これで要卒が取れることになるのだが、英語のとゼミ系がかなりおもしろそうだが大変そうである。

まず、英語文献のだが、Mathew D. McCubbins、Weingast、John Ferejohn・・・いろいろ指定されている。一回30ページくらい読むらしいのだが、ポリサイ的な、統計的なのを理解できるのだろうか。APSRにのっている論文を眺めて全然意味不明という印象を抱いたという悪しき記憶があるのだが・。しかも、院と同じ授業だから、ただの学部生である人間がついていけるのかなという気もある。
まあ、こんなことを言っていても仕方が無いし、面白そうなのばかりだから、執念深くやってみようかなと。

ゼミ系のは、授業名からしてタネ本になされるに違いないと思っていたTSMの3人本の指定は無く、「政権交代」がテーマらしい。タイムリーな題でこれまた興味深いんですが、この授業はある意味必修なのでやる気ない感じの報告を聞かされる可能性が大なのがイヤなんですよね。とある先生のように拒否的抑止な表現(?)をお使いになられて人数減らしをなされるようなことはないだろうし・・。しょーもない報告すんなと自分が思われないように頑張りたいと思います。

追加:後日、政治思想系の授業の配当回生でないことが判明。特別講義扱いにしろよと思わなくはないが・・。2単位分考えなくては。

2010年3月21日日曜日

首相のリーダーシップ

問い:強い首相と言われた中曽根康弘と小泉純一郎のリーダーシップについて述べよ

「大統領的首相」を目指した中曽根と「自民党をぶっ壊す」と宣言して首相になった小泉は、戦後日本において、例外的に長期政権を維持し続け、そのリーダーシップが強かったとされている。
しかし、両者には違いがある。つまり、小選挙区制導入や内閣府設置などのリーダーシップの取れる(強くなれる)制度改革の後に、小泉は登場したのであり、中曽根とは強さの基盤が違っていたのである。
ここでは、戦後(55年体制以降)の首相のリーダーシップがなぜ弱かったのかを述べた後、中曽根・小泉の強さについて触れ、両者の異同を述べる。

細川政権による政権交代に至るまで、自民党は衆院で過半数を維持し続けた*1。議院内閣制であれば、過半数与党によって選ばれた首相は、大統領制のような議会による抵抗を受けにくい。首相は、多数派の与党をコントールすることで、自らの選好を容易に実現できるはずである。しかし、日本の首相のリーダーシップは弱かった。首相は与党議員を統制できず、与党は首相の政策追求に修正を強制したり、拒否権を持ったのである。
首相、つまり与党の党首が議員をコントロールする資源として、①選挙の公認権、②政治資金、③人事権があると言われる。選挙に落ちればタダの人である議員が、当選と出世を目指すというのは妥当な想定である。つまり、首相は、公認権を持つことで選挙の当落に影響を及ぼしたり、政治資金を握ることで選挙活動量の大小を決定づけたりして、議員の生命維持の鍵を握ることが可能であり、当選を果たしてもポスト配分権を握ることで、議員を統制できる。
中選挙区制という世界でも稀な選挙制度を採っていた日本では、大政党は一つの選挙区に複数の候補者を立てる必要があった。そのため、同じ選挙区で自民党候補者同士での争いが生じた。党内には、派閥間の争いがあり、各派閥は領袖を中心に勢力拡大を目指した。そのため、自民党公認を得られなかった新人候補も、対立候補と異なる派閥の支援を受けることで当選を果たすことが可能だった。このことから、首相のリーダーシップを高める第一の要素である公認権は、あまり意味あるものとならなかった。さらに、第二の要素である政治資金も派閥の領袖によって賄われる事が多く、この側面でも首相は強くなりえなかった。
中選挙区制での、選挙区内の自民党議員の票割り戦略として、区内地域分割による票割りと利益集団*2との結びつきによるセクター割り戦略があるとされる。セクター割の結果、各議員は利益集団を代表することになり、両者の間には票とカネを含む密接な関係が生まれた。この結びつきは、内閣の方針に集団で抵抗し影響力を持った「族議員」を生じさせ、首相のリーダーシップをさらに弱くした。
第三の要素である人事権も、当選回数によるシニオリティ制が確立して以降、首相の権限が及ぶ範囲は大きなく、リーダーシップを支えることは難しかった。

以上のように、首相が強くなれる資源が小さかった戦後日本の政治状況であるが、中曽根は三公社民営化などの行政改革・規制緩和を成し遂げた。中曽根は、党内でも少数派閥の領袖であり、派閥の連合体である自民党では、他派閥の力を借りなければ、強いリーダーどころか首相にもなれなかった。そのため、中曽根は、田中角栄率いる田中派と連携することで首相になり、田中派の後藤田正晴を内閣の要である官房長官に起用するなどして田中派と提携した。田中曽根内閣という当時の批判は、中曽根が如何に、田中派を重視していたかを物語っている。田中派という数の力を持つことで、中曽根は派閥がもたらしたリーダーシップの縛りを脱そうとしたのである。
だが、中曽根が利用した資源は、田中派だけではなかった。中曽根は、世論の支持を自らの強いリーダーシップの資源にしたのである。中曽根は世論に敏感であり、自らの政策に対する世論の支持調達が目指されたのである。さらに、中曽根は、派閥や族議員の抵抗を避けるために、審議会を多用した。審議会では、第2次臨調に国民の受けが良かった「めざしの土光」こと経団連会長土光敏夫を起用し続けるなどして、世論にも配慮していた。
このように、中曽根は、世論や審議会を戦略的に利用することで、強い首相でいられたのである。それは、制度的な権限が制限されている米国の大統領*3が、世論を足がかりにして自らの選好を追求する姿と重なる。つまり、党内はでなく、世論を自らの権力の資源とした中曽根は大統領的な首相であったのである。

次に、小泉の強さを見る。
中曽根政権以降、小選挙区制度や政党助成金制度が導入された。小選挙区制では、選挙区政治おいて公認権の持つ意味が大きい。中選挙区時代と違い、保守系無所属含む同じ自民党候補は原則一人になった。中選挙区時代は、有権者の投票行動は自民党という政党ラベルではなく候補者個人ラベルに拠っていたが、自民党候補が原則一人の小選挙区では政党ラベルの持つ意味が格段に高まった。そのために、各候補者にとって公認を党から得ることが重要になった。つまり、第一の議員をコントロールする資源である公認権を握った首相=党代表は強くなったのである。第2の資源であるカネの側面を見る。政党助成金制度の導入で、各派閥に集められ派閥所属議員に配られる資金の重要性が低下した。政党助成金は国庫から政党に与えられる政治資金であるが、このカネの配分を決められるのは党執行部であった。つまり、首相=党代表は各議員の政治資金への影響力を高めることで強くなれたのである*4。
このように、議院内閣制のもと、与党党首の党内コントロール権が高まることで、首相は強くなれるようになったのである。
「自民党をぶっ壊す」と言った小泉が強い首相になれたのも、それまでの分極的な自民党がぶっ壊れていて、党代表への権力集中が背景にあったのである。世論を重視したという面では、大統領的首相の中曽根と同様であるが、小泉は、理念型の議院内閣制が本来持ちえる首相への権力集中という制度的な資源にも支えられていたのである。





*1当選後の無所属候補の入党を含む。
*2農業団体・中小企業・医師会などなど
*3http://kei-24.blogspot.com/2010/03/blog-post_15.html
*4さらには、内閣府設置など行政・官僚制でも、強い首相を支える資源を導く制度改革がなされた。首相の直接の指示を受けるスタッフが増えたことで、官僚制内部の抵抗を食い止める資源となった。また、経済財政諮問会議などを重宝することで、政策形成の面でも行政・官僚をバイパスしようとした。

2010年3月18日木曜日

地方政治と全国政治

問い:現代日本における地方政治と全国政治の関係について自由に論じなさい

全国政治とは、いわゆる「永田町」周辺で日々行われている中央政府の政治であると解し、ここでは選挙過程政治について論じる。

日本の国会議員は、特に自民党議員の場合であるが、地方政治家を動員して集票を行っている。例えば、参議院選と統一地方選挙が同年に行われた場合に、参院選の投票率が下がる現象について、統一地方選で疲弊した地方議員の動員が進まないためであるという説明があったように、地方政治家は全国政治のアクターである国会議員の選挙に関係している。

県や政令市レベルでは、議員の政党化が進んでいる。そのために、中央と地方の政治家が、政党所属を通じて密接に関係している。町村レベルでは、共産党や公明党所属の議員は散見されるが、多くの議員が無所属である。しかし、多くは保守系であると言われ、自民党政権時代は自民党国会議員と関係を結んでいた。
中選挙区制時代においては、自民党候補同士の地域分割の影響もあり、保守系地方議員の多くが、自民党国会議員と系列関係にあった。さらに、一党優位体制にあった自民党国会議員は、地元にハコモノなどの利益を誘導していたことが、ジャーナリズムや政治学者から指摘されている。つまり、地方議員は国会議員の集票を助け、国会議員は地方政治家の選好に適う地元利益を誘導する「票と地元利益」の交換関係があったと指摘できる。
国会議員と地方政治家との間に主従関係やある種のクライアンティズムがあったという論者もいるが、上述のように相互互換的側面もあり、イタリアのような厳格なクライアンティズムではなかったと考えられる。しかし、中央集権である以上国会議員の方が権限を持ち得たために、国会議員優位の関係があったであろう。

このように、政党と選挙を通じて、両者のリンクが見られた。

2010年3月17日水曜日

二元代表制

問い:二元代表制について思うところを述べよ

二元代表制とは、執政部の長と議会のメンバーがそれぞれ有権者に選ばれた正統な代表であることを基礎とする統治形態である。執政部の長が通常一名なのに対し、議会議員は多数存在する。そのため、執政部の長が、全地域的な代表であるのに対して、議員は各地域や各集団の代表であり、両者が代表する利益に差異が生じる。すなわち、二元代表制は、議員を通して多様な要求を吸い上げつつも、長が地域全体を代表することで、両者の間に抑制や協働が生まれ、より良く有権者の意思を活かそうとするものである。

二元代表制の例の一つとして、米国の大統領制が挙げられる。執政長官たる大統領と、各州や各選挙区ごとに選ばれる議員の二元代表が、それぞれ権力を分有しつつ、統治を行っているのである。しかし、二元代表制という言葉で語られることの多くは、日本の地方政府についてである。地方議会が、首長に対してあまりにも従属的で、議会独自の機能を発揮していないという二元代表制の実体への批判的な見方がその背景にある。そのため、議会基本条例の導入などの地方議会改革が行われたのである。

地方議会への批判は、議会のオール与党化体制などの議会と首長の党派性の一致が、議会の首長への監視機能を低下させているという見方を背景にしているように思われる。議会と首長は独立の機関であって、議院内閣制とは異なり与党も野党もなく、議会は首長の党派性と関係なく行動すべきだという主張がその背景にある。確かに、国政での与野党が、地方首長選挙で相乗りすることは珍しくない。さらに、首長側の提案を議会が修正したり否決したりすることも多くない。これらの事実は、一見すると、議会が首長に対して影響力を発揮していないという見方を支持するものである。

だが、議会のフォーマルな場で影響力を発揮していないからと言って二元代表の機能低下を指摘するのは、早合点である。首長が、選挙に出馬するときには、支持する政党と政策について協議することが考えられる。多くの政党と選挙での支持関係を結ぶことで、より広い民意を集約しているのである。これは、レイプハルトが提起した多極共存の合意型民主主義システムの変形と捉えることも出来うる。さらに、首長提出案が、提出前に議会の意見を組み入れていたり、議会による抵抗が予想されるものは提案されなかったりしている可能性がある。よって、議会が明示的に首長に抵抗していないからと言って二元代表制の機能不全を指摘するのは不適切である。
党派性というラベルが、有権者の選択コストを低下させるのであるから、むしろ議会議員は党派性を強調する事で部分的な政策的な民意を代表しやすくなる。二元代表の片方である議会で多様な利益を集約して、首長は議会との協調を行い、二元代表の過度な対立によって統治が滞ることを避け、効率的な運営を行っているという見方もありえる。

2010年3月16日火曜日

選挙制度と政党制

問い:選挙制度と政党制の関係について述べよ

まず、それぞれの意味するところを述べる。そして、両者の関係を理論的に論じ、日本を事例にして検証する。

選挙制度は、定数の大小、代表の仕方、投票の方法によって分けることができる。第一に、定数で分類すると、一つの選挙区から一人を選ぶ小選挙区制と複数人を選ぶ大選挙区制に分けられる。第二に、代表の仕方で分類すると、定数内で多数の得票をした候補者が順に当選する多数代表制と定数の範囲内で得られた票の比率に応じて議席を配分する比例代表制がある。さらに、多数代表制は、小選挙区制において過半数の得票を必要とする絶対多数代表制と相対的に最大の得票を得れば良いという相対多数代表制に分けられる。第三に、投票の仕方であるが、候補者名を書くか政党名を書くかという分類がある。さらに、候補者名ならば、何名の候補者を書くかという分類が出来る。定数と同じだけ候補者名を書く完全連記制や、複数の定数であるが一名しか名前だけの名前を書く単記制がある。

次に、政党制について述べる。政党制とは、政党の相互的な関係性を意味するものである。具体的には、政党の数や政党の大きさ、さらには政党間の政策空間での立ち位置の違いなどによって分類できる。サルトーリは、以下のような分類を示している。第一に、競争的な複数政党があるものの一党が政権を支配し、その状態が有権者や野党にも受け入れられている一党優位体制が挙げられる。第二に、競争的な二つの政党が、政権交代を繰り返す二大政党制が挙げられる。第三は、3つ以上の政党が存在し、複数の政党が連立して政権を形成する傾向のある多党制がある。さらに、多党制は、政党間の政策の差異が極端でなく、政権が安定化しやすい穏健な多党制と政党間の政策が極端に異なり、政党数も穏健な多党制と比べて多い傾向にあって、政権が不安定化しやすい分極的な政党制が挙げられる。

選挙制度と政党制の関係について述べる。まず、定数が候補者数に影響するという指摘がある。S・リードが提示した候補者数がM(定数)+1になるという見方がある。リードの議論は候補者数が焦点であるが、政党の数は、候補者数によって影響されうる。次に、代表制の観点ではデュベルジェが論じたように多数代表である小選挙区においては政党数が2になり、比例代表制では多党制になるという法則が指摘されている。さらに、投票の方法を考えると、単記制では同じ政党に属する候補者に一票しか入れられないが、連記制では定数と同じだけ政党に票を与えることが出来る。そのため、単記制であれば、多党化や候補者個人のラベルが重視されるために各政党の規律が弱まる傾向が指摘できる。逆に、連記制であれば、政党がまとまって集票できる結果、政党の数が少なくなる可能性を指摘できる。

戦後の日本の選挙制度は、衆議院選挙では中選挙区制だった。中選挙区制は、ひとつの選挙区から3~5名の当選者を出すシステムである。M+1ルールに基づくと最大で6の政党が勢力を持ちうるが、自民・社会・民社・公明・共産の5政党に、新自由クラブや他の革新系の政党が存在したことは、M+1の法則と政党の数の関係を示唆するものだと考えられる。
中選挙区制では、議会過半数を獲得するため、自民党は一つの選挙区に複数名を立てなければならなかった。しかも、有権者は一人の候補者の名前しか書けない単記制であった。そのために、候補者は党ではなく個人で集票しなくてならなくなり、派閥や族議員が生まれ、自民党は中央集権の政党ではなく、分極的な政党になった。
中選挙区制には、党ラベルや政策ではなく個人が集票の鍵となるため、利益誘導が生まれたという批判があった。このような批判的な見方を背景に、90年代初頭に導入されたのが小選挙区比例代表並立制であった。小選挙区制の導入には、政党同士が政策を競い合う二大政党制を実現しようという狙いがあった。選挙制度が政党制を導くという政治工学的な見方があったのである。
民主党による政権交代の背景として小選挙区制が挙げられる。たしかに、現在では、自民・民主の議席割合は高いが、衆院では公明党、共産党、社民党という有力な第3第4第5の政党が存在した。この状況については、小選挙区だけでなく比例代表性が並立されたことの効果や、政党の集票を担う地方議員が小選挙区ではなく中選挙区で選ばれることの効果が、小選挙区がもたらす二大政党制への効果を阻害しているという指摘ができる。さらに、自民党議員が党ではなく個人を基礎とする集票システムであったために、所属する政党が流動的になっても当選を続けられ、政党ラベルを必要としかなかった。そのために、二大政党へのインセンティブが低く、政党システムの収斂がおきにくかったとも考えられる。

以上のように、選挙制度と政党システムは因果関係を持ちうる。しかし、日本の事例で考えたように、選挙制度以外の文脈にも政党システムは影響される。

2010年3月15日月曜日

大統領制と議院内閣制

問い:大統領と首相はどっちが権力を持っているか?
このポピュラーな問いに答えるのは、実は難しい。

ノーベル賞受賞などアメリカ合衆国大統領の活躍をニュースで見聞きするのに、日本の総理大臣は隠然たる力を持つ与党幹事長に振り回されていて、なんとなく頼りない気がする。
でも、オバマが医療保険改革に苦労しているように、現実にはアメリカの大統領も絶対的な王様ではない。いや、むしろ、日本の首相よりも権力を持っていないかもしれないのである。

民主主義の大事な柱として「三権分立」という言葉を中学校くらいで習う。法律を作る立法権・法律を適用する司法権・それら以外の国家作用を担う行政権が3つの権力である。

アメリカでは、権力の集中は独裁を生み、良くないものだと考えられていて、「三権分立」がなされている。大統領と議会には、権力の融合はない。すなわち、行政権の担い手である大統領も立法権を担う議会議員も、国民がそれぞれ直接に選ぶ。大統領は議会を解散できないし、議会は大統領を選ぶわけでもないので大統領を解任することも出来ないのである*1。
議会は民主党と共和党の二大政党が牛耳っているが、議会多数派の政党と大統領の政党が異なる可能性がある(この状態を分割政府という)。たとえ分割政府でも、大統領は議会の多数派を変えようと議会を解散することはできないし、議会は大統領を選び直せない。権力の分立のために、大統領の行いたい政策が議会によって阻まれるのである。

日本では、国民によって選ばれた国会議員が首相を選び、首相は衆院を解散できる。首相と議会は融合的な権力関係なのである。そのため、議会多数派と首相の政党が不一致はおこりにくい*2。首相と議会多数派が一致するために、首相の政策は議会に拒否されることは少ないと考えられる。

このように、日本の首相は大統領のように議会に抵抗されず、より権力を持っていると考えられる。

しかし、印象は、弱い首相であった。

この印象は、何も理由のないことではない。政党の規律という視点が説明してくれる。規律というのは、議員が党によってコントロールされるということである。
日本では、自民党政権時代、中選挙区制という3~5名の当選者を出す選挙システムであった。自民党は、複数名の当選者を出す必要があった。候補者は、自民党という政党カンバンだけでは他の自民党候補と重なるために、候補者個人をアピールする必要があった。自民党候補者は個人後援会を作って集票を目指し、自民党中央地方組織への依存は少なかった。そのために、自民党議員は、党の意向に従属的になる必要がなかったのである。つまり、自民党の総裁=首相が、ある政策を追求しようとしても、規律が弱いために、議会へのコントロールができなかったのである。その結果、派閥や族議員の抵抗が生じ、首相は弱かったのである*3。
弱い首相を強くしようというのが、小選挙区並立制導入などの政治改革であった。この制度改革によって、選挙の公認権と政党助成金というカネを支配することで、党の規律が強化された。このような制度的に強くなれる資源の上昇と本人のキャラクターによって、強い首相という印象を与えたのが、小泉純一郎であった。

民主党政権になったが、鳩山総理には小泉のように強いという印象がない。これは、鳩山総理が小泉型のトップダウンの意思決定ではなく、コンセンサス重視の政治スタイルであるというのが原因であろう。強くなることが出来ても、本人の意思次第で、合意型の政権運営にもなり得るのである*4。


さて、問いに戻る。大統領制の例としてアメリカ、議院内閣制の例として日本を挙げた。しかし、大統領制を採る国が全てアメリカ型かというとそうではない。議会と大統領の権力関係が融合されていたり、アメリカの大統領にはない、議会に対して法案の提出する権利を持つ大統領がいるなど、アメリカ型よりも議会の抵抗を排除できる強い大統領がいる。議院内閣制も、日本のように政権与党が巨大な第一党と小さい政党によって構成されれば、首相は強くなり得るが、複数連立与党でかつ政党間で絶えず主導権争いを余儀なくされる状況になれば、首相は弱くなりうる。また、政党の規律が低ければ、首相の指導力は発揮できず、首相は弱くなる。

つまり、問いの答えは、大統領と首相を比べた場合、一概にはどちらが権力を持っているかはわからないということである。


なお、権力とは何か、という問いはここでは言及しなかった。
*1犯罪を犯したときに開かれる弾劾裁判を除く
*2首相は、最終的には衆院の指名によって選ばれるので、参院の多数派と首相の政党が異なる分割政府は起こり得る。
*3中曽根康弘は強い首相であったする見方があるが、ここでは言及しない
*4しかし、民主党幹事長である小沢一郎が、党の規律権を握っているような印象もある。

2010年3月14日日曜日

「日本の地方政治 二元代表制政府の政策選択」

曽我謙悟・待鳥聡史『日本の地方政治 二元代表制政府の政策選択』(名大出版会 07年)
レヴァイアサン(44号)」(09年4月刊)でこの本の座談会をやっていた。そこに4人の写真が載っていたのだが(著者2名、伊藤修一郎先生、司会?の増山幹高先生)、春に出た雑誌やのに、何でこんな服装なんだ?(確か半袖の先生も)と思ったと記憶している。春(4月15日)に出たんだから、まあ、座談会は冬(1月とか)だろうと勝手に想像したのだが、甘かった。最後に実施日が書かれていたが、それは前年の夏であったのだ。そういえば、毎号真っ先に読まれるという「編集後記」で、某先生が編集作業の愚痴を書かれていたが、研究者自身が雑誌の編集するというのは大変な苦労なんだろうな。他の書評とかの兼ね合いとか調整とかなんだかんだで、半年以上経って、満を持しての掲載だったのであろう(勝手な邪推。なお編集担当の先生が次の46号から変わるらしい。)。
それと、朝日とか日経(?)だったかでもこの本は取り上げられていた。朝日については小林良彰先生が書いたのがネット上にあったので、そちらを参照。
そういう周辺情報はここらで止めて、内容の話しに入りたい。二人の研究者の完全な共同研究によって書かれたこの本は、戦後日本の地方政治で、知事と議会(二元代表)の党派性や党派構成といった政治変数が政策に影響を与えてきたことを示している。まず、比較政治学のアプローチ(比較政治制度論)を使って理論モデルを検討し、日本の地方政治(都道府県レベル)を位置づけた上で多くの基本仮説や補正仮説を導いている。その上で、60年代から70年代前半を革新自治体隆盛期(4章)、70年代後半から80年代を保守回帰の政策変化(5章)、90年代からを無党派知事期の政策変化(6章)に分けている。4、5、6章では、それぞれの時代の特徴や背景の叙述をしたうえで、1章で検討された仮説を元に作業仮説を提示している。これらの作業仮説は、財政データをによって計量的に検討されたり、事例を使って検討されている。

小選挙区から選ばれる知事はマクロな集合財的な政策に関心を持ち、大選挙区から選ばれる議員にはミクロな個別財的な政策に関心を持つという分析があったが、4章にあった革新政党の議席が多いほど土木費や商工費や農水費が高まるいうのは意外だった。なぜなら、革新=福祉で保守のバラマキ政策とは一線を画していたと思っていたので。

理論的に仮説を導いて、その仮説を検証するという本書の研究スタイルはとても学術的(科学的?)だと思うし、こういう研究をぜひやってみたい。

最後に、とにかく良い本だと思ったが、6章では6個しか作業仮説がないのに作業仮説7が出て来て少し戸惑った。まあ、ただの誤植(番号が一つずれてる)だったのだが。