2010年1月2日土曜日

田村元(たむらはじめ。通称タムゲン)のオーラルヒストリーと著作

田村元『政治家の正体』とオーラルヒストリー




田村元は中選挙区時代の三重2区選出の国会議員であった。さらに、田村元は中選挙区制下連続トップ当選連続13回の最高記録を持ち*1、通産大臣などの閣僚を経て衆議院議長を務めた人物である。

郷土出身であり、自民党のそこそこの大物であった田村元が如何なる政治家であったのか?を知りたくて、「オーラルヒストリー」と氏の著作「政治家の正体」を読んだ。

まず、オーラルヒストリーであるが、これは伊藤隆ら近代日本史料研究会が実施したものだ。伊藤隆が主としてインタビュアーをしているが、少し下調べが足りない気がした(ex「政治家の正体」すら読んでいないまま開始されていたり、娘婿が郵政選挙で代議士になっていたことを知らなかったり・・。最もこういう態度が中身を引き出す作戦なのかもしれないが)。

肝心の内容は、建設政務次官の時に伊勢湾台風やチリ津波の後始末をやって選挙に強くなった(特に海岸線)とか、数少ない灯台族・下水道族議員であったこととか、いろいろなことが書いてある。

中でも、田中角栄内閣の時に労働大臣をしていたそうだが、閣議で元旦からのバス・電車の値上げの話が総理から出た時に、「お年玉に値上げということがありますか」「反庶民的」だと言って反対した。そうしたら、当時官房長官の二階堂進が、全会一致原則の閣議で総理の発議に反対は許されないから罷免か辞職だ言う。これに対し、田村は「罷免してもらおうじゃないか」と応じた。結局、総理が間に入って、元旦実施は引き延ばされることになったらしい。

閣議というと、民主党政権になって廃止された事務次官会議で決まったことを閣僚が花押かなにか押して認めるだけの儀式だと思っていたが、こうやって修正されることもあるんだなと思った。(別のところで田村本人も「閣議なんてまったくの形式」と述べている。)

次に、「政治家の正体」である。以下、気になった点を自分なりにまとめて記す。

・田村元が建設委員会の理事だったとき、委員会が開かれないことがあった。建設委員長が委員会を開かなかったのである。それは、この委員長と選挙区が同じある代議士に当時の建設政務次官がその選挙区の予算の箇所付けを、委員長が知る前に教えたことにカンカンに怒ったからである。建設委員長というポストで、早く建設関係予算を知って、俺がつけてやったと地元で宣伝することで、票が集まる。この絶好の機会を建設政務次官の安易な行いによって奪われた。だから、委員長はカンカンになって、委員会を開かずに、建設省を苛めたのである。(委員会が開かれないと、法案が通らないのである)

・大臣になるとカネが集まるという風なイメージが巷にあるような気がする。しかし、田村元が通産大臣を務めたときは大損したらしい。なぜカネが要ったかというと、例えば大臣が海外出張するときに若手官僚もお供として同行し、一流ホテルに泊まるが、官僚にはそれほど高い宿泊費は認められておらず、差額は官僚の持ち出しになる。そこで、田村大臣がその額をポケットマネーで補填してやったのだ。こういうようなことでカネが嵩み、選挙用の政治資金や株を売って捻出したのである。

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