2010年4月28日水曜日

現代日本の政治家像


レポート用にこの本を読んだのだが(全部は読んでないが),面白かったのでご紹介。

今や県知事の蒲島郁夫のゼミメンバーによる論文集である。つまり,東大の学生らが書いたものを編んだ本なのである。
今井亮佑先生や尾野嘉邦先生,話題の菅原琢先生のような学問の道に進まれた人*1のも含まれている。内容は,90年代の日本の政治家についての様々な焦点からの分析である。計量的手法も使われているが,分けが分からん複雑怪奇なレベルではない。

さらに言うと,レポートどうやって書いて良いか分からんという僕みたいな人には,東大の法学部生が如何なる様に書いているかを見て,参考にするのもいいだろう。

*1お三方は,他の論文等で見かけたことがあるので,研究者になられていると認識した。他にもいらっしゃるのかもしれない。

2010年4月22日木曜日

レポート考2

もうあと一週間で研究計画*1を発表せねばあかんのだけれども,依然としてパッとした問いが思い浮かばない。なので,とりあえず,暫定案をメモっておく。

なぜ小沢一郎ら羽田派やさきがけのように,政権党自民党から議員が離党したのか?というのをやろうかと思ったが,建林(2002*2)とかレヴァイアサン17号の河野論文や大嶽論文でお腹一杯になったので,やめである。観点変えてやればOKという先生からのご示唆もあったが,自分としてはまあ納得出来る説明が得られたので,問いへの執着というものが湧かなくなった。もし,やっても大したものは出来んだろうし。

ということで,この離党行動への興味から移って,離党した人の中で,園田博之や船田元のように自民党に戻った議員と,そのまま野党に残って今民主党にいる議員がいるが,彼らの政党所属行動を分けたものは何か?という問いが浮かんだ。まあ,短めに言うと,「一定の自民党離党者は,なぜ復党したのか?」というものである。

小沢さんとの人間関係とか,自民党からの引き抜き工作とかのジャーナリスティックなお話は,読んだことがあるが,政治学としての学問的説明として耐えられるもの*3は,今だ発見していない。なので,この問いは,やりがいがありそうである。(読者諸氏の皆様で,何かこの問いに答えている研究をご存知なら,是非お教え下さい)

それで,さっき書いた建林を参考にしてやろうかと。
建林は,合理的選択論の観点から,議員が「再選」「政策」「昇進」という目標のために合理的に行動するとして,離党を説明してます。
なので,離党したものの,これらの目標が達成しくそうだと感じた議員,つまりは目測を誤った議員が自民党に戻ったのではないだろうかというのを仮説にして分析しようかと。

具体的な作業は,まずは離党者と復党者の把握。つぎに,復党者の選挙区状況とか,党内ポジション(政策・昇進に関係)を叙述する。ケース数が多ければ,得票状況とかを計量的に見てみるのも良いだろう。
復党しなかった議員との比較するのは,必須の作業だから,これは忘れちゃダメだ。

問題点は,いろいろあるだろから,また今度考えよう。




*1「研究」などと呼べるシロモノになるはずもないが,そう呼べるものを目指すという気持ち自体は大切にしたいので,こう呼んでおこう。
*2http://ci.nii.ac.jp/naid/110000465049
*3その場その場の事象を単に記述するのではなく,より一貫性を持ちうる説明くらいの意味。大げさに言うと,理論的に説明するということかな?

2010年4月10日土曜日

レポート考

さてさて,授業も始まりましたが,ゼミ系の授業の発表の日程が早速決まりました。

準備に取り掛からなければいかんのですが,構想が全然まとまらんので,ここに雑然としたメモを残しておこうかと。

テーマは「政権交代」に関係することなら何でも良いとのことなので,その裏返しとして「何故,自民党は長期政権たりえたのか?」という大きめな問いがまず浮かびました。

はじめに浮かんだ仮説。

擬似政権交代仮説:60s70s自民党は,派閥対立が加速化し,首相の交代は「擬似政権交代」であった。いわば,自民党は,各派閥の合従連衡体であり,党内に主流派(与党)と非主流派(野党)を抱えていた。有権者が内閣を支持しなくとも,党内政権交代をすることで対応できた。

この仮説で進めるなら,まずは「擬似政権交代」って何?という問題に対処しなくてはいけない。というか「政権交代」って何?という問いにまず答えなければいけない。首班指名で首相に投票し,内閣を構成する政党が与党であるとするなら,その与党の構成が変化することが最広義の定義だろう。しかし,自・社・さ→自単独だって政権の構成は変わっているが,これを通常「政権交代」とは言わない。「政権交代」では与党の主要な政党の変化が通常イメージされる。この主要なってのが難しいところで,日本みたいに過半数には届かなくともかつての自社さ・自自公連立政権のように明らかに自民党の議席が優位って状態ならば,自民党は主要な与党って言ってもいい気がする。
でも,ヨーロッパの多極共存型のデモクラシーのように各与党の議席の差が少ないと,その判断は難しい。
例えば,選挙前A党80B党70C党60D党50E党40の議席(合計:300)でA党C党E党の与党という状態があるとする。選挙後,A党49B党81C党60D党70E党40の議席を得て,与党がC党D党E党に変化したら,主要な政党がA党からD党に変化し政権交代したと呼べるのだろうか?
このように「政権交代」ってのは,主要な政党がハッキリするイギリス型の2大政党制では分りやすい概念だが,多党制からなる政党制の国には当てはめにくい概念なのではないかと。
なので,自民党を党内政党である派閥の合従連衡と見て,総裁選での支持関係で与党派閥構成の変化を叙述しても難しいかな。とするとこの仮説はぼつだな。
いや,でも「擬似政権交代」っていう概念を使うのがダメなだけで,派閥が党内政党として機能していて,自民党内の競争が激しく,総裁の交代がある程度有権者を満足させる政策の急な変化をもたらすことが出来たというのはありかもしれない。
80年代以降の総主流化や小選挙区制導入後の派閥の弱体化によって,派閥対立が薄まった結果,総裁が変わっても大して政策は変化しなくなったという見方が出来るなら,書けるかも。小泉以後の安倍・福田を経てようやく大きな政府志向の麻生になったという遅い政策の変化っていう見方もあり得るだろうし。

しかし,全く逆の,派閥対立全盛期こそ族議員の活躍などによって党内が分権的であり,総裁が変わっても政権の政策は全然変化していなかったという見方もあり得る(というかこっちのが合ってそう)よな・・。

4月16日追加。オタクなテーマではなく正統で時間の都合が許すものを模索することにしました。

2010年4月3日土曜日

政治主導

問い:「政治主導」について自由に論じなさい。

「政治主導」という言葉は、国民によって選ばれたわけではない行政・官僚による「政治」ではなく、国民が選んだ代表である政治家を中心に「政治」を行う、という意味で使われることが多いように思われる。しかし、「政治家」の範囲やレベルが不明確であり、「政治」主導の意味は、その使われ方によって大きく変化する。

例をいくつか挙げる。田中角栄による公共事業の地元誘致も政治家による政治には違いなく、政治主導である。各利益団体と結びついた族議員が、内閣の決定に介入しその政策を歪めるのも、政治家に政策決定であり、政治主導である。小泉純一郎による一連の改革も、首相主導・官邸主導と呼ばれたように、トップやその周辺を中心としたポストを占めた政治家による政治であり、政治主導であった。鳩山由紀夫による政務三役の活用は、各省レベルで政治家(政務三役)による決定を実質化しようとするものであり、これまた政治主導である。

このように、政治主導は幅広い現象を捉える概念であるために、分析概念としては抽象度が高過ぎる。ここでは、鳩山民主党政権が使う「政治主導」の意味を考える。

「政治主導」に込められた意図は、3点に分けられると思われる。1点目は、その最低限の定義である、政策決定の主導権を官僚から政治家に移すということである。官僚の天下りやハコモノ行政の失敗などの現象を受けて、国民の官僚観は悪化している。民主党は、この官僚批判を背景にして、官僚から政治家に主導権を取り戻し行政改革の断行を企図することで、国民からの支持を集めようとした。
2点目は、与党政治家による不適切な内閣の政策決定への介入を排除することである。自民党政権時代、官僚や利益団体と結びついた族議員が、首相や大臣の決定に対して、政調会などの自民党内部での審議過程を通して拒否権を持っていたために、しばしば族議員による政策介入が行われた。そこでは、族の部分利益が優先され、国家全体の一般的な利益が損なわれた。民主党は、このような政治家主導を排除し、内閣に政策の決定権を持たせようとしていた。政調会の廃止はその表れであり、与党議員の意見は政務三役などを通して反映される余地はあるものの、基本的には内閣が政策決定の意思決定を担うことが目指された。
3点目は、内閣内部における政治主導の徹底である。小泉内閣において、総理を中心にしたトップダウンの政策決定が見られたが、郵政や高速道路など注目を集めた分野は限定的であった。大臣ポストこそ、従来の自民党の慣行を無視した人事であったが、副大臣・政務官では、派閥均衡型の人事が見られた。かつて、「盲腸」とまで言われた政務次官制度からの改革によって導入された副大臣・政務官制度であるが、その実質的な機能はそれほど上昇していたとは思われない。そこで、民主党は、政務三役の増員・活用を目指し、大臣とチームとして一体的に運用したのである。このことによって、内閣あるいは執政内部での政治家の役割を増加させようとしたのである。

以上をまとめると、民主党政権の「政治主導」は、党に残った政治家ではなく、内閣に入った政治家よる一体的な政策決定を目指すものと考えられる。つまり、イギリス型のウェストミンスターモデルを理想型として、そのような統治形態を目指していると考えられる。そこでは、野党に代表される民意や国会での審議の意味は非常に薄れる。国会は、審議によって政策の変更を目指すのではなく、内閣と野党が国民に向けて議論するだけの劇場になる。劇場化した国会の機能低下を批判する政治家や研究者がいるだろうが、政治決定の責任者がより明確になるという点では、ウェストミンスター型の政治主導は有意義である。

2010年4月2日金曜日

「卒論」考

うちの法学部には卒論がないのですが、4年間の学びの集大成(?)として何か書きたいと思っているわけです。ただ、ゼミに所属していない私ですので(かつては所属していたんですがね・・)、形式的にちゃんした「卒論」は書けないんですよね。でも、うちの学部には何を研究しても良いという「自主研究」っていう科目があるので、後期にこれ取って何か書こうと思います。

それで、どんな内容にするかというのをちょっと考えておこうかと。

内容を大きく分けると、一つはこれまでやったレポートを精緻化して進化させる方法があり、もう一つは今までと方向性を変えてなんかやるというのがあります。

前者の既存のレポの進化ですが、今までやったのは、①ある政令指定都市を対象に、市長と議会の権力関係を、政党所属を踏まえつつ財政データや議案の審議状況を使って分析したやつ、②中選挙区制下の自民党議員の選挙の強さ(指標:対次点投票率)が、議員の行動(どんな族議員にどの程度なるか・有力度(指標:大臣や党役職の経験))にどう関係するかを分析したやつ③戦前日本政治史の分析を基に、歴史研究と理論研究の融合の可能性を考察したやつがあります。③はちょっと進化するのは無理なので、既存進化なら①②のどっちかだなぁ。①なら、他の政令指定都市まで対象を広げつつ、「権力」や「二元代表制」の理論的な考察をするという進化かな。先生も真の因果関係の分析なら統計的にやらんとあかんって言うてはったし。でも、データがやたら入手しにくいっていう難点があるんだよな・・。②は、前の学期にやったやつですが、これも分析対象が限られていたという弱点を解消するのと、もっと高度な計量分析でより精緻な分析をしたいという希望があるので、やり直したい。先生からのコメントがまだないので、これを待って検討だな。

方向性を変えるというと、いろいろやりたいのはあるんですよね。なので、一ヶ月位前から日課にしている一日一論文読むを利用して、関心分野の先行研究を読んでみようかと。

まあ、その前に公務員試験に受かるかとか、受からん場合(受かってもだが)入「院」するか、という進路問題を解決せねばいかんのだが・・。