2010年4月3日土曜日

政治主導

問い:「政治主導」について自由に論じなさい。

「政治主導」という言葉は、国民によって選ばれたわけではない行政・官僚による「政治」ではなく、国民が選んだ代表である政治家を中心に「政治」を行う、という意味で使われることが多いように思われる。しかし、「政治家」の範囲やレベルが不明確であり、「政治」主導の意味は、その使われ方によって大きく変化する。

例をいくつか挙げる。田中角栄による公共事業の地元誘致も政治家による政治には違いなく、政治主導である。各利益団体と結びついた族議員が、内閣の決定に介入しその政策を歪めるのも、政治家に政策決定であり、政治主導である。小泉純一郎による一連の改革も、首相主導・官邸主導と呼ばれたように、トップやその周辺を中心としたポストを占めた政治家による政治であり、政治主導であった。鳩山由紀夫による政務三役の活用は、各省レベルで政治家(政務三役)による決定を実質化しようとするものであり、これまた政治主導である。

このように、政治主導は幅広い現象を捉える概念であるために、分析概念としては抽象度が高過ぎる。ここでは、鳩山民主党政権が使う「政治主導」の意味を考える。

「政治主導」に込められた意図は、3点に分けられると思われる。1点目は、その最低限の定義である、政策決定の主導権を官僚から政治家に移すということである。官僚の天下りやハコモノ行政の失敗などの現象を受けて、国民の官僚観は悪化している。民主党は、この官僚批判を背景にして、官僚から政治家に主導権を取り戻し行政改革の断行を企図することで、国民からの支持を集めようとした。
2点目は、与党政治家による不適切な内閣の政策決定への介入を排除することである。自民党政権時代、官僚や利益団体と結びついた族議員が、首相や大臣の決定に対して、政調会などの自民党内部での審議過程を通して拒否権を持っていたために、しばしば族議員による政策介入が行われた。そこでは、族の部分利益が優先され、国家全体の一般的な利益が損なわれた。民主党は、このような政治家主導を排除し、内閣に政策の決定権を持たせようとしていた。政調会の廃止はその表れであり、与党議員の意見は政務三役などを通して反映される余地はあるものの、基本的には内閣が政策決定の意思決定を担うことが目指された。
3点目は、内閣内部における政治主導の徹底である。小泉内閣において、総理を中心にしたトップダウンの政策決定が見られたが、郵政や高速道路など注目を集めた分野は限定的であった。大臣ポストこそ、従来の自民党の慣行を無視した人事であったが、副大臣・政務官では、派閥均衡型の人事が見られた。かつて、「盲腸」とまで言われた政務次官制度からの改革によって導入された副大臣・政務官制度であるが、その実質的な機能はそれほど上昇していたとは思われない。そこで、民主党は、政務三役の増員・活用を目指し、大臣とチームとして一体的に運用したのである。このことによって、内閣あるいは執政内部での政治家の役割を増加させようとしたのである。

以上をまとめると、民主党政権の「政治主導」は、党に残った政治家ではなく、内閣に入った政治家よる一体的な政策決定を目指すものと考えられる。つまり、イギリス型のウェストミンスターモデルを理想型として、そのような統治形態を目指していると考えられる。そこでは、野党に代表される民意や国会での審議の意味は非常に薄れる。国会は、審議によって政策の変更を目指すのではなく、内閣と野党が国民に向けて議論するだけの劇場になる。劇場化した国会の機能低下を批判する政治家や研究者がいるだろうが、政治決定の責任者がより明確になるという点では、ウェストミンスター型の政治主導は有意義である。

0 件のコメント:

コメントを投稿