2010年4月10日土曜日

レポート考

さてさて,授業も始まりましたが,ゼミ系の授業の発表の日程が早速決まりました。

準備に取り掛からなければいかんのですが,構想が全然まとまらんので,ここに雑然としたメモを残しておこうかと。

テーマは「政権交代」に関係することなら何でも良いとのことなので,その裏返しとして「何故,自民党は長期政権たりえたのか?」という大きめな問いがまず浮かびました。

はじめに浮かんだ仮説。

擬似政権交代仮説:60s70s自民党は,派閥対立が加速化し,首相の交代は「擬似政権交代」であった。いわば,自民党は,各派閥の合従連衡体であり,党内に主流派(与党)と非主流派(野党)を抱えていた。有権者が内閣を支持しなくとも,党内政権交代をすることで対応できた。

この仮説で進めるなら,まずは「擬似政権交代」って何?という問題に対処しなくてはいけない。というか「政権交代」って何?という問いにまず答えなければいけない。首班指名で首相に投票し,内閣を構成する政党が与党であるとするなら,その与党の構成が変化することが最広義の定義だろう。しかし,自・社・さ→自単独だって政権の構成は変わっているが,これを通常「政権交代」とは言わない。「政権交代」では与党の主要な政党の変化が通常イメージされる。この主要なってのが難しいところで,日本みたいに過半数には届かなくともかつての自社さ・自自公連立政権のように明らかに自民党の議席が優位って状態ならば,自民党は主要な与党って言ってもいい気がする。
でも,ヨーロッパの多極共存型のデモクラシーのように各与党の議席の差が少ないと,その判断は難しい。
例えば,選挙前A党80B党70C党60D党50E党40の議席(合計:300)でA党C党E党の与党という状態があるとする。選挙後,A党49B党81C党60D党70E党40の議席を得て,与党がC党D党E党に変化したら,主要な政党がA党からD党に変化し政権交代したと呼べるのだろうか?
このように「政権交代」ってのは,主要な政党がハッキリするイギリス型の2大政党制では分りやすい概念だが,多党制からなる政党制の国には当てはめにくい概念なのではないかと。
なので,自民党を党内政党である派閥の合従連衡と見て,総裁選での支持関係で与党派閥構成の変化を叙述しても難しいかな。とするとこの仮説はぼつだな。
いや,でも「擬似政権交代」っていう概念を使うのがダメなだけで,派閥が党内政党として機能していて,自民党内の競争が激しく,総裁の交代がある程度有権者を満足させる政策の急な変化をもたらすことが出来たというのはありかもしれない。
80年代以降の総主流化や小選挙区制導入後の派閥の弱体化によって,派閥対立が薄まった結果,総裁が変わっても大して政策は変化しなくなったという見方が出来るなら,書けるかも。小泉以後の安倍・福田を経てようやく大きな政府志向の麻生になったという遅い政策の変化っていう見方もあり得るだろうし。

しかし,全く逆の,派閥対立全盛期こそ族議員の活躍などによって党内が分権的であり,総裁が変わっても政権の政策は全然変化していなかったという見方もあり得る(というかこっちのが合ってそう)よな・・。

4月16日追加。オタクなテーマではなく正統で時間の都合が許すものを模索することにしました。

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